今を遡ることおよそ500年前、室町幕府の頃。都には粟田口や鞍馬口をはじめ「京の七口」と呼ばれる関所が置かれ、入洛者は通行税を支払う制度ができた。以来、関所の周辺は人と物資の往来が盛んとなり、近世に入っても賑わい続けたという。
その七口のなかでも、山陰に通じる丹波街道沿いにある「丹波口」で江戸末期に創業したのが、北尾である。
と語ってくださったのは、6代目の北尾陽(あきら)社長。やがて、黒豆や小豆などを使った菓子や加工品の小売、京都の菓子店や料亭に向けた砂糖の卸売もはじめたという。
黒豆といえば、丹波。今や全国ブランドとして知られているが、丹波黒豆の商品としての歴史は意外と浅い。
と北尾社長。黒豆は昭和40年頃の減反政策をきっかけに、各地で大量に作られるようになった。北尾でも丹波産の黒豆を扱っていたが、当時は需要も少なく、なかなか受注できずに苦労したという。
そんなある日、京丹波地方の農協を回っていた北尾社長は、地元農家が守り継ぐ黒豆の野生種と巡りあう。
地元農家と契約して苦節15年、新丹波黒の安定した質と量の確保に成功した。社長曰く、丹波産の黒豆が全国に認知されるまでにはさらに15年の月日を要したという。
と、北尾社長は目を輝かせる。
お正月のおせちには、なぜ必ず黒豆が入っているのだろうか。
というのが、北尾社長の見解だ。昔から黒豆炊きといえば大晦日の風物詩であり、姑が嫁の料理の腕を試す皮肉話としても知られたもの。
毎年収穫された黒豆は自ら炊いて味を見るという北尾社長が、美味しい黒豆の炊き方を伝授してくださった。
小豆を食べて健やかに暮らす秘訣は、日本ではおなじみの旧暦や年中行事にあるという。
「まずは1月15日に食べる小豆粥。それから春と秋に食べるお彼岸餅。お正月の暴飲暴食で胃腸が疲れてる時、春や秋など季節の変わり目で体調を崩しやすい時に小豆を食べると、腸の働きもよくなって新陳代謝も高まるんです。
旧暦には、小豆を食べて体を整える習慣が上手いこと織りこまれてますね。昔の人は今みたいに情報がなくても、ようわかってはる。」
日本人の暮らしの中で受け継がれてきた、健康に役立つ豆々しい知恵。新しい年には先人にあやかって、小豆を食べる風習やその意味も見直してみたい。
このインタビュー記事は、【京都で創業の老舗が集まる、京都ブランドショッピングモール「老舗モール」】様にて掲載されたものを引用しています。